2011年10月20日
はまじぃズトーク
2011年7月21日
中村とうよう さん(享年79歳) が亡くなった
自死 である。
音楽 特に洋楽に縁のない人 と 若い人
は知らないかもしれない。
といっても 僕も 名前はよく知っているが
今まで 顔も知らなかった人である
この人の名を初めて知ったのは 僕が18歳のとき
1966年に初めて買った Bob Dylan の LP
日本で初めて日本コロンビアから発売された
日本編集盤のレコードのジャケ裏の解説が
中村とうよう だった。
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1969年4月に、『ニューミュージック・マガジン』
現在のミュージック・マガジンを創刊
その後 彼はどんどん民族音楽の方へ傾注していったので
僕としては 疎遠になっていった。
だから 特に彼に思い入れがあるわけではない。
最近は ミュージック・マガジンもほとんど読まなくなった。
姉妹誌である レコード・コレクター の方が読む機会は多い。
昔は こういう情報は雑誌で取るしかなかったが
今は インターネットでリアルタイムに入ってくるし
YouTubeで動画も見れるし ミュージシャンのサイトもある。
音楽雑誌は情報を流すだけでは成り立たなくなって来ている。
本屋さんで ロバート・ジョンソン特集のレコード・コレクター誌を
読んでいた時に彼が亡くなった事を記事で知らされた。
となりにある ミュージック・マガジン9月号 の とうようズトーク を 読む。
毎号 中村とうよう が唯一投稿しているコラムですが
その最後1/3 ほどの内容は なんと 遺書そのもの でした。
でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。
この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、
もう思い残すことはありません。
最後の夜が雨になってしまったのがちょっと残念だけど、
でもあたりにハネ飛ぶ汚物を
洗い流してくれるんじゃないかって、思ってます。
実はこのマンションを買ったとき、
飛び降りるには格好の形をしてると思ったんですよ。
この最後のコラムの原稿ををポストに投稿し
親しい人達に最後の手紙を投函し
そして マンションから 飛び降りた。
以前 自分のコレクションを、武蔵野美術大学に寄贈し、
「中村とうようコレクション展」として展示中だった。
自分の身辺を整理し膨大なコレクションを寄贈し
皆さんにご挨拶をし 散っていった
……………………………………………………………………………………………
このことを 理解出来る若い人達は少ないと思う。
地位も名声もあり 世間から疎んじられているわけでもないし
まだまだ生きられるのに なにも と 思うのが 普通だろうと思う。
でも 僕は 何となく解る。
ぼくは 漠然と思っているだけで
実行するはっきりした理由も勇気もないだけですが。
それに 沢山の本やCDやレコードが なかなか整理できない。
寄贈する程 値打ちの有る物 でもないし
処分するのに時間が掛かる。
でも 体が動いている間に片付けようとは思っている。
80歳を過ぎると 体が弱ってくる
眼も耳も疎くなり 骨ももろくなり 転びやすくなり
怪我をし病気になり 入院し おむつを当てられ
他人の世話になるようになる。
僕は両親を見送ってきたので よくわかる。
79歳という歳はその 手前
まだ 力も残っていて 頭もボケていない時に
という 気持ちはよくわかる。
ずっと 独身で 生涯 ある意味 孤独に生きて来た
でも 自分のやりたいことは やり通してきた。
もう いいだろう という 思い
というより
強い 決意 だろう
……………………………………………………………………………………………
20歳くらいの時は 1ヶ月が 3年くらいの長さに思った事もある。
毎日が 全く違った未知の体験の連続だったからか
それとも 密度が濃く 解像度が高い 感性をしていたのか
今じゃ 1年も5年もあっという間に過ぎる。
毎日同じ事の繰り返しで 発見も冒険もない。
昨日の晩飯のおかずの中味すら 思いだせない。
若い時は 感性も鋭く やりたい事はいっぱいある。
でも お金と 経験がないので やりたいことが簡単には出来ない。
歳いくと 逆になる
金や地位は有るけど やる気と気力と感動が無い。
若い時かなわなかった マーチンのギターや
ハーレーのバイクやと 買いあさってみても
それを 駆使できる 感性も技も筋力もない。
ただ 金はなくても 思い切り出来る事をやっておけば
悔いは残らないし ジョブスの点と点のスピーチ のように
後から 大いに役に立つ事が沢山ある。
ぼくは 若い時に好きな事を好きな様にやってきたので
今の仕事に役立っている知識や経験がいっぱいある。
回りを見渡すと そういう人は極めて少ない。
むしろ 若い時に やりたいこともやらずに
我慢して 好きでもない仕事をずーと続けてきて
定年になって さて と思った時に 何していいか解らない。
趣味もなく 目標もなく 喜びもない
ただ かけてきた年金をできるだけ取り戻し
うまい物食って 人の面倒をかけてでも 出来るだけ生き延びてやる
と いった 人達の 多い事
テレビは勝手に おもしろ可笑しくストーリーを作り 垂れ流してくれるので
一日中 テレビの前で 饅頭でも食いながら 手叩いて笑ったりしてる。
テレビもそうだが 見てる人だって 最近眼も顔も横長ワイド画面になってる。
……………………………………………………………………………………………
中村とうよう は その 対極にある。
若い時に思い切り自分の好きな仕事をしてきて
自分で 自分に ピリオドを打つ
……………………………………………………………………………………………
生命の寿命はいつなのか
前に読んだ本にはこう書いてあった
人間の場合 子供が社会に出て一人前になってしばらく
ということは 30歳で子供を産んで子供が社会に出ると
50〜55歳くらいで 子供が結婚するまでとしても
60歳〜65歳 と言ったところでしょう。
我々年寄りがそれ以上長生きするという事は
若い人達の食料からエネルギーまでを奪っている事になる。
とも 書いてあった。
……………………………………………………………………………………………
さて 話は戻る
中村とうようさんは 式の詳細まで細かい指示をしている。
葬式屋にはやらせるな、ホテル等の交通至便なところで、会費は7,000円以内等々。
「映像ショー」は、誰と誰の解説で。
と いうところまで
彼は 自分の 死 を 自分の死 として終わらせたかったのだろう。
決して 他人に脈をとられて ご臨終ですと 言わせまい。
病院の天井を見ながら機械にモニターされながら死にたくない。
最後 身辺整理して 親しい人に手紙を書き
最後の原稿を投稿し 遺書をそろえて
シングルモルトウィスキーを一口と
シガレットを 一服して
まるで 我々観客が中村とうようの映画でも見たかの様に
最後に 終 という文字を刻み
そして 最後は自分で 幕を降ろしたかったのだろう。
中村とうよう に 深い哀悼の意を表します。
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合 掌
中村とうよう さん(享年79歳) が亡くなった
自死 である。
音楽 特に洋楽に縁のない人 と 若い人
は知らないかもしれない。
といっても 僕も 名前はよく知っているが
今まで 顔も知らなかった人である
この人の名を初めて知ったのは 僕が18歳のとき
1966年に初めて買った Bob Dylan の LP
日本で初めて日本コロンビアから発売された
日本編集盤のレコードのジャケ裏の解説が
中村とうよう だった。
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1969年4月に、『ニューミュージック・マガジン』
現在のミュージック・マガジンを創刊
その後 彼はどんどん民族音楽の方へ傾注していったので
僕としては 疎遠になっていった。
だから 特に彼に思い入れがあるわけではない。
最近は ミュージック・マガジンもほとんど読まなくなった。
姉妹誌である レコード・コレクター の方が読む機会は多い。
昔は こういう情報は雑誌で取るしかなかったが
今は インターネットでリアルタイムに入ってくるし
YouTubeで動画も見れるし ミュージシャンのサイトもある。
音楽雑誌は情報を流すだけでは成り立たなくなって来ている。
本屋さんで ロバート・ジョンソン特集のレコード・コレクター誌を
読んでいた時に彼が亡くなった事を記事で知らされた。
となりにある ミュージック・マガジン9月号 の とうようズトーク を 読む。
毎号 中村とうよう が唯一投稿しているコラムですが
その最後1/3 ほどの内容は なんと 遺書そのもの でした。
でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。
この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、
もう思い残すことはありません。
最後の夜が雨になってしまったのがちょっと残念だけど、
でもあたりにハネ飛ぶ汚物を
洗い流してくれるんじゃないかって、思ってます。
実はこのマンションを買ったとき、
飛び降りるには格好の形をしてると思ったんですよ。
この最後のコラムの原稿ををポストに投稿し
親しい人達に最後の手紙を投函し
そして マンションから 飛び降りた。
以前 自分のコレクションを、武蔵野美術大学に寄贈し、
「中村とうようコレクション展」として展示中だった。
自分の身辺を整理し膨大なコレクションを寄贈し
皆さんにご挨拶をし 散っていった
……………………………………………………………………………………………
このことを 理解出来る若い人達は少ないと思う。
地位も名声もあり 世間から疎んじられているわけでもないし
まだまだ生きられるのに なにも と 思うのが 普通だろうと思う。
でも 僕は 何となく解る。
ぼくは 漠然と思っているだけで
実行するはっきりした理由も勇気もないだけですが。
それに 沢山の本やCDやレコードが なかなか整理できない。
寄贈する程 値打ちの有る物 でもないし
処分するのに時間が掛かる。
でも 体が動いている間に片付けようとは思っている。
80歳を過ぎると 体が弱ってくる
眼も耳も疎くなり 骨ももろくなり 転びやすくなり
怪我をし病気になり 入院し おむつを当てられ
他人の世話になるようになる。
僕は両親を見送ってきたので よくわかる。
79歳という歳はその 手前
まだ 力も残っていて 頭もボケていない時に
という 気持ちはよくわかる。
ずっと 独身で 生涯 ある意味 孤独に生きて来た
でも 自分のやりたいことは やり通してきた。
もう いいだろう という 思い
というより
強い 決意 だろう
……………………………………………………………………………………………
20歳くらいの時は 1ヶ月が 3年くらいの長さに思った事もある。
毎日が 全く違った未知の体験の連続だったからか
それとも 密度が濃く 解像度が高い 感性をしていたのか
今じゃ 1年も5年もあっという間に過ぎる。
毎日同じ事の繰り返しで 発見も冒険もない。
昨日の晩飯のおかずの中味すら 思いだせない。
若い時は 感性も鋭く やりたい事はいっぱいある。
でも お金と 経験がないので やりたいことが簡単には出来ない。
歳いくと 逆になる
金や地位は有るけど やる気と気力と感動が無い。
若い時かなわなかった マーチンのギターや
ハーレーのバイクやと 買いあさってみても
それを 駆使できる 感性も技も筋力もない。
ただ 金はなくても 思い切り出来る事をやっておけば
悔いは残らないし ジョブスの点と点のスピーチ のように
後から 大いに役に立つ事が沢山ある。
ぼくは 若い時に好きな事を好きな様にやってきたので
今の仕事に役立っている知識や経験がいっぱいある。
回りを見渡すと そういう人は極めて少ない。
むしろ 若い時に やりたいこともやらずに
我慢して 好きでもない仕事をずーと続けてきて
定年になって さて と思った時に 何していいか解らない。
趣味もなく 目標もなく 喜びもない
ただ かけてきた年金をできるだけ取り戻し
うまい物食って 人の面倒をかけてでも 出来るだけ生き延びてやる
と いった 人達の 多い事
テレビは勝手に おもしろ可笑しくストーリーを作り 垂れ流してくれるので
一日中 テレビの前で 饅頭でも食いながら 手叩いて笑ったりしてる。
テレビもそうだが 見てる人だって 最近眼も顔も横長ワイド画面になってる。
……………………………………………………………………………………………
中村とうよう は その 対極にある。
若い時に思い切り自分の好きな仕事をしてきて
自分で 自分に ピリオドを打つ
……………………………………………………………………………………………
生命の寿命はいつなのか
前に読んだ本にはこう書いてあった
人間の場合 子供が社会に出て一人前になってしばらく
ということは 30歳で子供を産んで子供が社会に出ると
50〜55歳くらいで 子供が結婚するまでとしても
60歳〜65歳 と言ったところでしょう。
我々年寄りがそれ以上長生きするという事は
若い人達の食料からエネルギーまでを奪っている事になる。
とも 書いてあった。
……………………………………………………………………………………………
さて 話は戻る
中村とうようさんは 式の詳細まで細かい指示をしている。
葬式屋にはやらせるな、ホテル等の交通至便なところで、会費は7,000円以内等々。
「映像ショー」は、誰と誰の解説で。
と いうところまで
彼は 自分の 死 を 自分の死 として終わらせたかったのだろう。
決して 他人に脈をとられて ご臨終ですと 言わせまい。
病院の天井を見ながら機械にモニターされながら死にたくない。
最後 身辺整理して 親しい人に手紙を書き
最後の原稿を投稿し 遺書をそろえて
シングルモルトウィスキーを一口と
シガレットを 一服して
まるで 我々観客が中村とうようの映画でも見たかの様に
最後に 終 という文字を刻み
そして 最後は自分で 幕を降ろしたかったのだろう。
中村とうよう に 深い哀悼の意を表します。
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合 掌
Posted by hamabeat at 11:51│Comments(0)
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