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2020年02月01日

1965-1975年:My Back Pages エピソードー3 /学園闘争

1967年の三里塚の体験で 三里塚ショックが僕の中で起きます

それは 彼らの地についた戦い、農家として 土地、生活を守る戦い

そういう具体的な戦いを見て、自分達の戦いとは何なんだろう

という疑問が湧いてきたことです。

そんな時、1968年の日大闘争を皮切りに

急速に全国に学園闘争が広がりました。

自分達の戦いが始まった訳です

連日、校内集会が開かれ、大学側との話し合いがもたれ

校内デモが起き その後建物の占拠、封鎖にまで発展しました。

全ての教職員、学生が無視するか大学側につくか、抗議側につくかを迫られました。

学生は多くが抗議する側につきデモ隊に参加するようになりました。

自然発生的に仲間は増えていきました

しかし 学内での各セクト間での対立も激しくなり始め

集会が終わると 角材による内ゲバが始まるようになりました。

しかも逃げ遅れた学生を数人で囲み角材を振り下ろしているのを

僕は何回か止めたことがあります。

同じ目的を持っていながら、主義主張が違うからといって

お互いが暴力で解決しようとするやり方に疑問を感じ始めました。

僕の北賀茂の下宿は離れになっていて広い部屋だったので

いつも仲間たちが集まっていましたが

激しく対抗しているセクトの人達とも一緒に話をしていました。

内ゲバが激しくなるにつれ参加して来た多くの学生は少しずつ去っていきました

もし仮にでも革命が成就し (ありえないことですが)指導部が政権を取ったとしたら

そこから権力闘争が始まり 自分達が反対してきた筈の

スターリニズムに落ち入るのは目に見えている

僕は 運動から身を引いた

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学園闘争の初期 毎日集会が続く中 期末試験が始まる時期になりました。

3回生の試験です。 僕たちは 毎日 朝、事務所に押し入り

”こんな状態の時、 試験なんかやってる場合か!”と書類を蹴散らかしました

おかげで この時の試験は中止、 全てレポート提出となりました。

前回のエピソードで紹介した滋賀のアキラさん  

僕が運動を始めた頃に出逢いました

何故か僕のことを気に入ってくれて その後もずっと付き合いましたが現在消息不明

彼は中高生の頃から 文学書を読みあさり 映画はビスコンティや希有な名画を見まくり

そうとう弁のたつ 論客でしたが 反面、冬山単独登頂というような強者でした。

北賀茂の下宿にはよく突然現れて 朝方 オールナイト営業の中華飯店でガッツリ食べ

さて 一番電車で帰ると言い 重いカバンを手に提げ 京都駅まで歩いていきました

市電でも30分近くかかるような距離です

そんな 我々とはレベルの違うタイプなので 

学生運動なぞに参加するはずはありませんが

共感はしてくれて いろいろ論理面で教えてくれました

話を戻します。その レポート提出は彼に助けられました

”おい! これ うつせ”と持って来たレポートをそのまま書き移しました。

3回生の単位は全て取得、これがなかったら

僕は卒業は出来なかった筈です。

4回生の卒業試験は リンチを避けるため命がけで受け

体育の単位は野球の応援で取り、ぎりぎり卒業しました。

一緒に運動していた仲間はほとんど卒業できず中退で終わっています。

僕にとっては余裕のない親が大学にやってくれたことへの義理を果たすため

どんなことがあっても卒業する必要がありました。

大学の卒業式に出席することもなく 就職活動をしたこともありません。

筒に入った卒業証書が家に郵送されていたようです。

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1968年末には東大闘争の誘いが毎日かかった

僕は かたくなに断ったが 僕のシンパだった工学部のAが

女性関係のもつれからか 東大に行くと言い始めた

僕は ”絶対に行くな! 必ず逮捕されるし、人生終わるぞ!”

そう何度も説得したが 聞かなかった。それが彼に会った最後だった。

1969年1月 激しい攻防戦の結果 東大は陥落した。

彼は 逮捕され 実家に連れ戻され分離裁判にかけられたと後に聞いた。

その時の経験で彼にしか解らない確かなものを掴み取ったとは思うが

今でも僕は彼のことを時々思う時がある

僕の先輩は東大の屋上で最後の最後まで

身をなげうって戦ったと聞いた。

東大闘争の終焉を契機に 学生運動はより過激に 

そして本来の目的とは別な方向に進むことになり

連合赤軍の仲間のリンチによる凄惨な虐殺によって

大衆からの支持を完全に失っていくことになる。

革命は 多くの大衆の怒りによって起こされるものである 

ということを彼らは忘れている。

……………………………………………………………………

香港の反中国デモは学生たちによってより過激なものになってきたが

11月24日 香港区議会選挙の結果は 民主党の圧勝で終わった

一連の抗議デモは多くの香港市民によって支持されたことになる

でもこれからの中国政府の出方が心配になってくる


エピソードー3 はこれで終わります。

次回 エピソードー4 に続きます。


では



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Posted by hamabeat at 16:28│Comments(0)僕の裏ページ
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