2019年11月23日
1969年 ウッドストック・フェスティバル
1969年は今からちょうど半世紀前、50年前の激動の時代です
欧米ロックの名盤が沢山リリースした年です。
その頃ぼくは ディラン 一辺倒でしたからロックをあまり聞いてはいませんでした。
1964年 トンキン湾事件以後アメリカ合衆国が北ベトナムに大規模に軍事介入しました
トンキン湾事件はアメリカが作り上げた介入の口実だったことが後に明らかになりました。
1975年 北ベトナム の勝利によって終結しました。アメリカが初めて戦争で負けた戦いです。
10年近くも続いた凄惨で激しい戦争でした。
アメリカは大規模な爆撃により多くの北ベトナムの人達を殺戮しました。
そして自国の10代〜20代の多くの若者たちを犠牲にしました。
しかし 戦争で犠牲になった若者よりもっと多くの若者が帰還してから自殺をしています。
いかに 無意味で虚しい戦争であったかが解ります。
1969年はそのベトナム戦争の丁度真ん中の年になります。
アメリカ国内をはじめ 全世界でベトナム反戦運動が起きていました。
日本でも ベトナム反戦 をスローガンにした運動は活発でした。
1969年 僕は21歳 ベトナム反戦運動に身を投じていました。
この頃、ベトナム戦争に対しては全国民が賛成か反対かを突きつけられていました。
心情的には多くが反対だったと思いますが 行動を起こす人はごく一部でした。
日本は今でもそうだがアメリカの植民地のようなものであり 米軍基地はいたるところにある。
特に 沖縄はベトナム戦争にとって前線基地であり殆どの爆撃機は沖縄から飛んでいた。
日本にとって対岸の火事ではなく ベトナム戦争の加担者であり加害者であったことはたしかである。
<ウッドストック・フェスティバル> を撮影したカメラマンは
<ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実>というドキュメンタリーを撮影しています
第47回(1975)アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しています
世界的に同じようにこのベトナム反戦運動はその後、大学の学園紛争に進んでいきます。
この時の自分の経験は 自己史の一部として別のブログで公表します。
アメリカ国内の反戦運動も過激さを増していきますが
一方で ヒッピーの 反戦、ラブ&ピースの動きが拡大していきます。
どちらにしてもアメリカの伝統的な中産階級の文化や道徳に反発した
カウンターカルチャーが底流にあると思います。
アメリカに限らず世界中での共通の現象ですが大人たちが作り上げてきた文化に対する
明確な ノー と 今の社会からのドロップアウトとして現れてきました
その 1969年 に起きたのが ウッドストック・フェスティバル です
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多くの ドロップアウトした若者たちやヒッピー達が集まったロックフェスティバルです。
最近 ドキュメンタリー放送でこの時の映像が公開されました。
ミュージシャンによるライブ映像はDVDで見れますが
この映像は主催者や地域住民や土地提供者やこのフェスをサポートした人達を主に扱っています。
今、改めて見てみますと こんなに全てが一体に溶け合ったようなフェスティバルがあったんだと驚かされます。
参加し関わった人達の生き生きとした表情を今の若い人達が見たら 信じられないでしょうね。
このフェスティバルの最後、殆どの人達が去ったあとの ジミ・ヘンドリックスの演奏は
皮肉にもディストーションの効いたThe Star-Spangled Banner アメリカ国歌でした
アメリカの威信が崩れ去っていくような象徴的なライブでした。
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この音楽ライブの冒頭はリッチー・ヘブンスの長いパフォーマンスでしたが
アーティストが混乱や渋滞のせいでなかなか集まらなかったため
時間稼ぎをしていたようです。
このライブで衝撃だったグループはまだ無名だったサンタナでした。
この若いドラマーのお姉さんとメールのやり取りをしたことがありました。
たしか 東京に住んでいたと思います。
いずれにしてもこのフェスティバルは この時代にしか起き得なかった象徴的なイベントでした。
この年に公開された映画は
『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy)
『イージー・ライダー』(原題:Easy Rider)
ウッドストックと共に 大阪の映画館で 1970年に佐々と見ました。
『真夜中のカーボーイ』は アメリカを象徴するカーボーイの虚しさと失墜とホームレスの夢を描いています
田舎から夢を求めてさっそうと都会に出て来た場違いなカーボーイが過去のアメリカならば
ダスティー・ホフマン演じるホームレスが現在のアメリカです。
彼が夢見たのは 暖かく、明るいフロリダで美女に囲まれているハッピーなアメリカでした。
『イージー・ライダー』は2人のライダーが中産階級の農夫によって殺される場面で終わっています。
いずれも 見終わったあとのあっけらかんとした空虚感はその時代特有のものでした。
『ディア・ハンター』に関する自分のブログは <見えない敵>
http://zenbeat.t-galaxy.com/e2703882.html
『イージー・ライダー』は<1970 大阪-1> http://zenbeat.t-galaxy.com/e2703904.html
を参考にして下さい。
『ディア・ハンター』(The Deer Hunter)は、1978年公開です。
ベトナム戦争終結後すぐに製作された衝撃的な映画です。
屈託のない幸せに包まれていた若者たちがいきなりベトナムに送り込まれ
狂気を体験し変わり果てていく姿と なお仲間たちを信じようとする小さな希望が感じられる映画でした。
最後にピアノの伴奏で静かに皆でうたう 『ゴッド・ブレス・アメリカ』 が残された希望かもしれない。
『ディア・ハンター』のテーマ曲「カヴァティーナ」も物悲しくいいですね。
ちなみに 『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)1968年に
『ブレードランナー』(Blade Runner)は、1982年に公開されています。
それでは また お会いしましょう
Posted by hamabeat at 16:23│Comments(0)
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