2018年11月25日
Ryuichi Sakamoto-coda
もう暫くで 最後の手術から3ヶ月退院から2ヶ月 になります
退院後1ヶ月で 食べ物の味が わかるようになり
少しづつ 食事の量も増え 今はほぼ普通の量を食べています
少しづつ良くなっていますが 時間がかかりそうです
最近 坂本龍一の CODA という映画を見ました
彼は癌の告知の後 足し算から 引き算へ シフトが変わったと言っています
僕もそうです 癌や命に関わる大病に罹った人はみなそうだと思います
限りある命であると気づいてから 物に対する興味が無くなりました
退院後 ショッピングに行った事もなく 財布を開けてお金を払った記憶もほとんどありません
この前 来年のカレンダーを買いにいこうと思い 百円ショップに行きました
3年分のカレンダーがあり これいいかも と思いましたが
はて カレンダーと僕 どちらが長生きするかな と思いました
僕がいなくなったカレンダーも かわいそうだと思い 結局買うのをやめました
...............................................................................
さて Ryuichi Sakamoto-coda の映画のお話です
ある意味 前回のブログ <コヤニスカッティ> の続きみたいな映画でした
東日本大震災 3.11 のあと福島を訪れるところから始まります
津波の海水に浸かったピアノに向き合います
福島の寒々とした講堂のような所でコンサートを行います
東京で原発反対、再稼働反対のデモに参加
タルコフスキーの映画 <惑星ソラリス> 河の流れ、雨の音、
アルテミエフによるバッハ コラール・プレリュード 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』

タルコフスキーのポラロイド写真集
イニャリトゥ監督の映画 <レヴェナント:蘇えりし者> の音楽の作成風景
森に分け入り 音を採集する 雨音を聞くためバケツをかぶり雨の中に佇む
ニューヨークの彼の住居の近くで起きた 9.11 のテロ
その後 一週間 全く音楽を聞いていないことに気が付く
一週間 音が 消えた
そのことで 以前見たドキュメンタリー 原爆の数日後 に
広島市に入った人のこんな言葉を思い出しました
そのとき <広島の廃墟には全く 音が無かった> と言っていました
真空状態のような 不気味な無音の世界です
生活の音 会社や工場や電車の音 子供達の戯れる音 人の話声 鳥や虫の音
そんな 普段気にしていない生活のノイズがはぎ取られている風景
動物や人間や植物たちの命の気配を感じさせない 風景
..............................................................................................................
そのあと 映画音楽
1983年 大島渚監督の <戦場のメリークリスマス>
1987年 ベルナルト・ベルトリッチ監督 <ラストエンペラー>
1990年 ベルナルト・ベルトリッチ監督 <シェルタリング・スカイ>
<シェルタリング・スカイ>で 作者のポウル・ボウルスが出演し昼下がりのカフェでつぶやく
<われわれはいつ果てるかを知らない だから人生を枯れない井戸のように考える
だがいかなる事も限られた回数しか味わえない
自分の人生に深く影響を与えた幼少期のとある昼下がりを幾度思い出す事だろう?
4〜5回? それ程ないかも知れない 満月の昇る姿をあと幾度見るだろう?
例え20回だとしても 全てが無限の如く思えるのだ>
晩年のポウル・ボウルスのこの詩のような言葉
以前見たときには特に気に留めていませんでしたが
やはり 現在の僕には身に沁みる言葉です
..............................................................................................................
1999年 オペラ LIFE
背後の巨大なスクリーンに映し出された 原爆の生みの親であり
その後水爆反対を唱えた オッペンハイマーのつぶやき
<世界はもう戻れないとわかっていた
笑うものもいた 泣くものもいた
大半のものは 沈黙した
バカバット・ギーターの一節を思い出した
『私は全ての”死”となった。死 ....世界の破壊者なり』>
これはオッペンハイマーが自分自身に対する痛々しい呪詛だと思われます
..............................................................................................................
最初の人類が発した言葉や音楽やダンスを感じに
人類発祥の地であろう アフリカへおもむき
その後 北極へ
産業革命以前のピュアーな氷が溶けた水の流れにマイクをつり下げ
<音を釣っています。 知る限り 最もピュアーな音>と微笑む
2014年 福島の海辺 ジリジリと刺すような 放射能カウンターの音が痛々しい
2017年 <Solari> タルコフスキーのソラリスに似た旋律
以上 Ryuichi Sakamoto-coda の内容でした
このドキュメンタリー アンプにつないで細かい音にまで耳を澄ませて聞くといいですよ
では また
退院後1ヶ月で 食べ物の味が わかるようになり
少しづつ 食事の量も増え 今はほぼ普通の量を食べています
少しづつ良くなっていますが 時間がかかりそうです
最近 坂本龍一の CODA という映画を見ました
彼は癌の告知の後 足し算から 引き算へ シフトが変わったと言っています
僕もそうです 癌や命に関わる大病に罹った人はみなそうだと思います
限りある命であると気づいてから 物に対する興味が無くなりました
退院後 ショッピングに行った事もなく 財布を開けてお金を払った記憶もほとんどありません
この前 来年のカレンダーを買いにいこうと思い 百円ショップに行きました
3年分のカレンダーがあり これいいかも と思いましたが
はて カレンダーと僕 どちらが長生きするかな と思いました
僕がいなくなったカレンダーも かわいそうだと思い 結局買うのをやめました
...............................................................................
さて Ryuichi Sakamoto-coda の映画のお話です
ある意味 前回のブログ <コヤニスカッティ> の続きみたいな映画でした
東日本大震災 3.11 のあと福島を訪れるところから始まります
津波の海水に浸かったピアノに向き合います
福島の寒々とした講堂のような所でコンサートを行います
東京で原発反対、再稼働反対のデモに参加
タルコフスキーの映画 <惑星ソラリス> 河の流れ、雨の音、
アルテミエフによるバッハ コラール・プレリュード 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』

タルコフスキーのポラロイド写真集
イニャリトゥ監督の映画 <レヴェナント:蘇えりし者> の音楽の作成風景
森に分け入り 音を採集する 雨音を聞くためバケツをかぶり雨の中に佇む
ニューヨークの彼の住居の近くで起きた 9.11 のテロ
その後 一週間 全く音楽を聞いていないことに気が付く
一週間 音が 消えた
そのことで 以前見たドキュメンタリー 原爆の数日後 に
広島市に入った人のこんな言葉を思い出しました
そのとき <広島の廃墟には全く 音が無かった> と言っていました
真空状態のような 不気味な無音の世界です
生活の音 会社や工場や電車の音 子供達の戯れる音 人の話声 鳥や虫の音
そんな 普段気にしていない生活のノイズがはぎ取られている風景
動物や人間や植物たちの命の気配を感じさせない 風景
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そのあと 映画音楽
1983年 大島渚監督の <戦場のメリークリスマス>
1987年 ベルナルト・ベルトリッチ監督 <ラストエンペラー>
1990年 ベルナルト・ベルトリッチ監督 <シェルタリング・スカイ>
<シェルタリング・スカイ>で 作者のポウル・ボウルスが出演し昼下がりのカフェでつぶやく
<われわれはいつ果てるかを知らない だから人生を枯れない井戸のように考える
だがいかなる事も限られた回数しか味わえない
自分の人生に深く影響を与えた幼少期のとある昼下がりを幾度思い出す事だろう?
4〜5回? それ程ないかも知れない 満月の昇る姿をあと幾度見るだろう?
例え20回だとしても 全てが無限の如く思えるのだ>
晩年のポウル・ボウルスのこの詩のような言葉
以前見たときには特に気に留めていませんでしたが
やはり 現在の僕には身に沁みる言葉です
..............................................................................................................
1999年 オペラ LIFE
背後の巨大なスクリーンに映し出された 原爆の生みの親であり
その後水爆反対を唱えた オッペンハイマーのつぶやき
<世界はもう戻れないとわかっていた
笑うものもいた 泣くものもいた
大半のものは 沈黙した
バカバット・ギーターの一節を思い出した
『私は全ての”死”となった。死 ....世界の破壊者なり』>
これはオッペンハイマーが自分自身に対する痛々しい呪詛だと思われます
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最初の人類が発した言葉や音楽やダンスを感じに
人類発祥の地であろう アフリカへおもむき
その後 北極へ
産業革命以前のピュアーな氷が溶けた水の流れにマイクをつり下げ
<音を釣っています。 知る限り 最もピュアーな音>と微笑む
2014年 福島の海辺 ジリジリと刺すような 放射能カウンターの音が痛々しい
2017年 <Solari> タルコフスキーのソラリスに似た旋律
以上 Ryuichi Sakamoto-coda の内容でした
このドキュメンタリー アンプにつないで細かい音にまで耳を澄ませて聞くといいですよ
では また
Posted by hamabeat at 17:19│Comments(0)
│ボクメンタリー
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